【自我のハナシ】17*自分というフィルター(1)
今回の内容は認知についての話…ということに
なるのかな?と思いますが、専門的(学術的)な話ではなく、
ここ数年心理セラピー関連の勉強をした上での
私個人の見解で書き進めております点、ご了承頂ければ幸いです。
いつもこんな感じでスミマセン。。。(´▽`;)
見えないモノの話をしようと思うと
ホント難しいものでして・・・
・ ・ ・
この世の中のどんな人でも、必ずその人だけの体験と記憶、
それに基づいた価値観やものの見方…というのがありますね。
その、その人だけの固有の解釈や意味付け…
ということに焦点を当てて、今回は話を進めて
いきたいと思っております。
で、どんな話をしたいかと言いますと…
自我は“自分のフィルター”を通してしか反応出来ない
ってことを書いていきたいなと。
これは、
自我は“自分の都合”でしか動けない
自我は“自分のため”のことしか出来ない
この辺りのニュアンスも含めてしまいたいと思ってるんですが…
スミマセン、話進めるために勝手にそうさせて頂きますね。
これ、どういうことなのかと申しますと、
たとえば…
自分から見て“このヒトって自己中だわ”って感じてる時って、
じつはその相手が自分にとって都合の悪い(イヤだ、ムカつくなど)
言動を取ってるのでそう感じてたりします。
これが逆の場合…
“このヒトっていい人だわ”って感じてる時って、
その相手は自分にとって都合のいい(嬉しい、ありがたいなど)
言動を取ってるのでそう感じたりしてます。
つまり、自分の反応(自分にとって都合がいいか悪いか)を
元にして、相手を判断し【このヒトは自己中】【このヒトはいい人】という
ラベルを貼っているという感じです。
これ、多分ほとんどの人は普通にやってますよね。
もちろん私も常にこれをやってます。
やってる…というか、自動的に反応?して
さらに自動的にラベル貼りまでしてる感じ・・・
いちいちすごく意識して“判断しよう、ラベル貼ろう”とか
考えてるわけでなく、勝手に瞬時にやっちゃってる
という感じだと思います。
で、この自分の反応(自分にとって都合がいいか悪いか)を
ここでは“自分というフィルター”という言葉で表現しております。
もしこのフィルターが全くなければ、そもそも反応は起きないので
相手がどんな言動をしていようとこっちは無反応です。
でも“自分というフィルター”ってのは自我の働きなので
普通誰もがその人固有のフィルターを通して、物事を受け取って
反応しますね。
ポイントは、このフィルターが人の数だけあって
他人のフィルターは見えてない…ってことなんですね。
(つづく)
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