自分のタイプを知ると、色んな謎が解けるみたい

*今回の内容は“シヌ”とか“シニタイ”などの言葉を
それなりの回数使ってしまっております。

*部分的にデリケートな解釈を含んでるとは思いますが、
あくまでも私個人の見解で、何かを決めつけるものでは
ありませんのでご了承頂ければ幸いです。

・ ・ ・

自分の中で、最近ふと疑問に思ったことがありまして、
それは・・・

なんで私、今までこんなに長い間ず〜っと
シニタイ、シニタイとか思いながら、シナナカッタんだろう?
なんで今でも生きてるんだろう?

…ということなのです。

生きていくことに心底絶望しきって、
心も身体も冷え切ってロボットみたいにカチカチのまま…
それでもシネずに今まで長いこと生きてきてしまいました。

最近、この辺りの疑問に対する答えがちょっと
見えてきたので書いておこうかな〜と思った次第なのです。

ポイントは2つあって、1つは“他責か、自責か”ということ。
何かツライことがあって苦しい思いをした時、それが
“アイツのせいだ、周りのせいだ、社会が悪い”というのが他責。
“全部私のせいなんだ、私が悪いんだ”が自責。
外罰的、内罰的…というのもニュアンス近いかもと思います。

で、私は完全に100%他責&外罰的タイプです。
自分が不幸なのは、すべて周りのせい…が基本なのです・・・(苦笑泣)

あともう1つは、リソースがたくさんあるかどうかということ。
リソースは“資源”という意味らしいですが、セラピーなどでは
“自分にとって心地良いもの、好きなもの、楽しいもの”
などのことをいうようです。

それはもうすべてにおいて…対人関係でも趣味でも飲食などでも
何でも良くて、とにかく“自分らしくいられるもの、幸せを感じられるもの”が
どのくらいあるか・・・ということが関係してきてるようです。

これ、私の場合、自分でもビックリするくらい色々あったんですよね。
漫画、アニメ、ゲーム、音楽、映画、今ならインターネット。。。

もともとヲタク系で部屋にこもって1人で楽しめるものが以前からも
たくさんありましたし、自分を見失うくらいに夢中になるタイプなので
(特にゲーム系は尋常じゃないです…)逆にそのためだけに生きてます〜!
くらいの勢いだったんですよね〜〜〜

幼い頃から対人恐怖だったので、
人との繋がり、社会との繋がりという話になると
すぐに(もう無理シニタイ)という思いが出て来てしまうのですが、、、

どうやら他責&リソースエネルギーが強過ぎ(?)て、
思考でシニタイシニタイと落ち込んでる時間以上に
そっちの引力に身を任せて現在に至っていたようなのです。

これだけで“自分はこういうタイプ”と思い込むのはちょっと雑かも
しれないのですが、でもなんだか謎が解けた感はあったのでした。

自分(というか自我)の解体…やっぱ面白いです♪

 

 
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