“怖れ”がベースになってると、好きだと思ってることでも辛くなる(@ω@;)
はい…タイトル通りだと思ったことがありまして…
これ、似たようなことを以前にも書いたかもしれませんが
改めてまた書いておこうと思いました。。。
約2年前ですが、嫌で嫌で仕方なかった仕事をやめました。
それまでにも“死ぬ前に少しでもいいから人生の立て直しをしたい〜”
という思いがあったのですが、なかなかやめることが出来ず、
でも2年前は色々キッカケがあってとうとう思い切って退職しました。
年齢的にももう夢も希望も持てない状態ではありましたが
それでも“このまま黙って死んでいくのは、あまりにも口惜しい!”
って思ってたんですよね…
で、若い頃から興味があった心理系のことを
ちょっと勉強してみたいかな〜と思い、2017年3月〜2018年2月の
1年間、心理セラピスト講座というものを受講しました。
もともとセラピスト志望というよりも、自分癒やしをしたいと
いう気持ちが強かったのですが、勉強することはやはりと〜っても
面白いと感じて、講座終了後も勉強会に参加しまくりました。
・・・が!
昨年の秋頃からなんだかシンドい〜…と感じるように
なってしまいました。。。
もともと知らない人の多い場所などに
入っていくことが超苦手な私・・・
それでも何度も足を運んでるうちに、少しは慣れてきます。
でもな〜〜〜んか。。。辛い…
好きでやってるつもりなのに、この息苦しさは何だろう…?
うまく出来ない感、自分だけがついていけてない感などもあり
昨年の秋頃には勉強会に行くのが億劫になってきて、、、
でももう高い授業料は払ってしまってるし…と
半ば義務的な…まるで職場に行くのと変わらないような
気の重さすら感じるようになってしまったのでした。
でもそんな状態になってることを誰にも言えないでいたのですが、
別のテーマで心理セッションを受けた時に
何かの話の流れで、その原因であろうことがわかったのでした。
結局私は心の勉強をバリバリ続けることで、
「何もしてない私=社会のクズ」である自分から目を背けたかったのです。
“心の勉強さえしていれば、こんな私でもまだ大丈夫なんじゃないか…”
“いずれ仕事につなげていくことも出来るかもしれないし”
そこには「これが最後、これもやらなくなったら
私は本当に終わる(=社会のクズのまま)」
というものすごい怖れと緊張が走ってたのでした。
そのギリギリ感といったら!
も〜死ぬか生きるかの瀬戸際状態くらい。
まさに崖っぷちってヤツでしょうか。
自分にとってはあまりに大きな怖れだったので、
どこかで薄々感づいてはいたのだけれども
真正面から認めることが出来ず「でも好きなことだから、大丈夫!」
という思いで必死にフタをしてきてたんですよね〜〜〜
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜
もうムリ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜( @Д@;)
その怖れを認めた途端、
なんだか全身の力が抜けたようになってしまって・・・
まったくもう…
やれやれだぜ…と。
その後私は、勉強会にムリしてまで参加することをやめました。
「今はもういい…またやりたくなったら始めよう」と思って…
選択肢が増えたといいますか、、、
今現在はこれまで習ったことを元に、日々気になることを
セルフワーク的に続けてるような状況です。
自分の怖れを真正面から認めることで
常に走ってた緊張を一旦緩めることが出来たようで、
その後新たな気付きもたくさんあって
あぁこれで良かったんだな〜・・・と今は思ってます。
なんだかいつにも増して解りにくいグダグダな内容に
なってしまってるかもしれません。。。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました☆
(´▽`;)
[私(自我)のこと] カテゴリの最新記事
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません