感情解放の嵐の中、開眼?したエピソード
先日参加してきた〈引きこもり女子会〉の前日まで、
じつはものすごい感情解放があり、3日間くらい
号泣しまくってたのでした。。。
これ、感情解放としか言いようがないのですが…
なんだか分からないのだけども、耐えられないくらいに
悲しいとか寂しいとか悔しいとかの感情が、急に
ぐるんぐるんに湧き上がってきて、どわ〜〜〜〜〜っっっ!っと
涙が溢れ出てくるのです。
一人で家にいるので、誰に遠慮するでもなく
泣きたくなったら泣いてるのですが、、、さすがに、なんというか…
ヘトヘトになってしまいました。
泣くことはエネルギーの解放?とか浄化??とか言われてますよね。
精神衛生上、全然悪いことではないと思うけども
あんまり泣いてると、やっぱ疲れます・・・
そして、女子会の前日の夜、不思議なことに
自分に対するこんな問いが下りてきたのでした。
“なんか、私の認知って
おかしくないか…?”
この場合の認知とは
私はこういう人間だ
私の人生とはこういうものだ
世の中とは、社会とは、人間とはこういうものだ
などの、自分の中でいつの間にか
思い込んだり、信じ込んだり、決めつけたりしてきてた
あらゆる事柄のことを指してます。
今まで当たり前だと思い込んでた自分のそれらの認知が、
どう考えてもおかしい、というか、何でそうなっちゃってんの?
・・・という、素朴な疑問として現れてきたのです。
頭ではすべて自分のストーリーだと解ってはいましたが、
改めてしみじみそう問われると、自分でもなんでなのか
わからなかったのでした。
ただ、自我としてはそれが都合がいいということだったんだと思います。
長年慣れ親しんできたこれらの認知、
とにかくそうなんだ!そうに決まってるんだよ!!
という、ゴリ押しで今までなんとかやってきたわけですから〜・・・
でも、今回のこの素朴な疑問は、そんな自我さんに
“もういいんじゃない…?”
“今まで十分頑張ってきてくれたよね…”
“もう、ムリしなくても大丈夫かもしれないよ…”
などなどの。。。
なんていうのかな〜〜〜
一種のねぎらいの言葉のようにも
聞こえたと言いますか・・・
ここ開眼ポイントになってます!
自我の絶対的な頑なさが、ほんと、和らいできたと言うか。
あいかわらず上手く言えてませんが、、、
そんな感じだったのです。
自我の強固な壁はキツツキのように
少しずつ少しず〜つ、つついて壊していく。
玉ねぎを1枚ずつむいていくように、とも言われますね。
ただ果てしなく、同じ場所をぐるぐる回ってるだけ…とも思えるような
「自分癒し」の旅路ではありますが、、、
それは螺旋階段になっててちゃんと昇っていってるよ、
って感じなのかも・・・です。
(*´ω`*)
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