【自我のハナシ】12*怖れの様々な形

自我の特性として「怖れ」がある・・・ってことを
以前書いたのですが、もうちょっとしつこく
書いてみたいと思います。

というのも、自分があまりにもこの世の中、
生きていく上で怖いと感じることが多すぎるので、
意識もついついそこに向かいがちというか〜・・・

こんなトシになっても、マジで超ビビリ屋なんです。。。

ちなみに「怖れ」と「恐れ」、この2つはよく使われますが
一応ニュアンスが違ってるみたいなんですよね。

でも正直よく分からないので、ざっくり普通に
「恐怖」「怖いと感じること」
という意味合いで使いたいと思います。

※高所・虫・先端恐怖症などの特定の恐怖症や、
実際に命に関わるような事件・事故・災害・病気などに対する恐怖は
ここでは別扱いとさせていただきますね。

・ ・ ・

今、自分で“怖れ”と思った時にパッと出てくるモノを
書き出してみますと・・・

分離感、つながっていない、バラバラである…ということから
不安、孤独感、焦り…など。

自分はとても小さく無能で無力である…ということから
不足感、欠落感、虚無感…など。

あと“個”であるということで、
他人と自分を比べてしまうことによって起きてくる
優劣、強弱、上下関係などに対する嫌悪…など。

人の目が気になる、批判されること、恥をかくことで
プライドが傷つく、自己価値が下がること…など。

自分は誰からも愛されない、認めてもらえない、
見捨てられるかもという自己否定感、枯渇感、絶望感…など。

・・・もっと細かいことまであげれば
まだまだたくさんある気がします。

少なくとも、私の自我意識はまったくもって
“怖れ”そのもので出来てる
と言っても過言では
ない気がするのですが〜・・・

だからもう、すぐに、生きてるの辛いです〜〜〜っっっ
ってなっちゃうんですよ、。。。
特性とはいえ反応し過ぎ。

もちろん、これは本当に人によって様々だと思いますし
基本的に“怖れ”をあまり感じない人もいると思います。

でも、自分の中でそわそわ・モヤモヤしたり、重たかったり、
イライラしたり…などの何らかの反応がある場合・・・

その反応のモトになってる思いを探って、見つめてあげると
何かを怖れてることってとても多いのではないかと思います。

それがわかったら、

あぁ、自分はこんなに怖がってたんだな…

ってことにただ気付いてあげる。
それ以上の分別もジャッジもいりません♪

「怖れ」があることは何ら悪いことでも恥ずかしいことでもなく、
自我意識としては当たり前と言いますか…

そこに気付いてあげる…意識の光を当ててあげるということは
自己愛を育むことへの大切なプロセス、癒しの道だと
日々感じているわけなのです。

 

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