“サバイバー”という言葉に反応してしまう〜

最近、複雑性PTSDや愛着障害など
幼少期から生き辛さを抱え込んでる人たちへ
向けてのサイトや動画などをよく見てるのですが・・・

時々“サバイバー”という言葉を見かけることが多く、
何かザワザワと反応してしまいました。

「トラウマサバイバー」なんて感じの使われ方をしていて
生き辛さを感じながらも、なんとかかんとか生き抜いてきた…という
ことなんだと思います。

パッと見、ポジティブな意味合いに見えますが、、、
なぜか自分の場合は(違う…違うんだよなぁ…)って感じの
違和感が上がってきて、ものすごい罪悪感を感じてしまったのです。

それは・・・

私は生きててはいけない人間
私は家族の中で一番先にシヌべきだった人間

という、強烈な負のセルフイメージがあったからなのです。

生き残りたいなんてこれっぽっちも思ってなかった
それなのに私は未だに生きてる
家族は皆この世から消えてしまったというのに

根拠はあるようで、ないようで〜・・・

でもこのストーリーは確固たるモノとして、
自分の中に今もあるのでした。

なので未だに私の中には“生きてることに
何の喜びも見い出せないでいる自分”がいるのです。
そもそも生きてること自体がもう罪、みたいな…

これ、真顔で思い込んでるんだから大変です。

もう10代の頃から長々と抱え続けてる、
このネガティブなイメージとストーリー。
抱えてるのは耐え難いほどに辛く苦しいのに、
ど〜しても手放すことが出来ないでいる・・・

こういう場合は、手放せない理由があるから…だということを
心の勉強を始めてから知ったのでした。

なぜ手放せないのでしょうか?それは…
何かしらのメリットがあるから、、、なのです。

今まさに、そのメリットをあぶり出し中〜〜〜
それが明確にわかったら、本当の意味での
癒しポイントが見えてくると思ってます。

まったりじっくり、あぶってみます。。。

 

( ̄▽ ̄;)

 

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