心の闇解放*アイデンティティの崩壊とか(1)

2020年2月21日

アイデンティティといいますと、

「私はこういう人」
「これが私」

という認識のことになるかと思いますが…

これがポジティブであれば問題はないと思うんですが、
ネガティブな場合なかなかに厄介です。

っていうのは、自分でまさに今
体験してるのでよくわかるんですけども。。。

「自分癒し」を進めていくに当たって、このアイデンティティが
もンのすごい壁となって立ちはだかってくる〜
っていうのがあるんですよね。

どういうことかといいますと、このアイデンティティ、
自分の場合

私は被害者
私は査定され(てNGにな)る人
私は許されない存在
私は救われない存在

と…まぁこのあたりになるんですが、これ、じつは
とても大きなメリット(こう思い込んでいたい理由)があるんですよね。

こう思い込んでる限り…

自分は悪くないと思っていられる
自分は無力でも仕方ないと思っていられる
自分が不幸なのは周りのせいだと思っていられる

ということで、自分を守っていられるという感じです。

自我としては自分を守るのは当然の仕事ですから
こんな大きなメリットのあるアイデンティティを、
そう簡単には手放しません。

だってこれを手放してしまったら、たちどころに自分は…

悪くなってしまうし
無力なことがダメになってしまうし
不幸なのは周りのせいにできなくなってしまう

わけですから〜〜〜
これ、何があっても絶対に譲れないというコトになってきます。

で、ここでよ〜く見てあげたいのが

本当は何を怖れているの?

ということなんですね。

自我に標準搭載されてるモノとして「怖れ」「罪悪感」というのは
よく聞きますが、一言に「怖れ」といっても人によって
中身は様々だと思います。

何が怖いのか?
なぜ怖いと感じるのか?
それはいつ頃から?

そうやって、細かく丁寧に「本当の声」を探って癒してあげると、
ネガティブなアイデンティティが少しずつ崩壊していくんですよね。

でもですね、ここで出てくるのが
「今までの自分は一体何だったのか」という悲痛な声・・・

出てきますよね〜〜〜!
「こんなに苦しみながら、必死でやってきた今までの自分は!?」

これ、本っ当〜にキツイです。
私もこの感覚に襲われた時は、もう完全にダメだと思いました。
自分を癒すなんて到底ムリだろう・・・ってくらい。

でも、その声に対してはもうフタをする、無視するなんてことはせずに
ひたすら解放、受容あるのみでした。

悪態つきたいだけついて(もちろん1人でいる時、心の中で)
号泣したいだけして
布団の上(もしくは布団の中)で暴れまくって

湧き出してくるエネルギーに見を任せきって、
とにかく全部吐き出してしまえ〜って感じ。

そんなことをやってると、やっぱり最後に出てくるのは

怖かったよ〜
悲しかったよ〜
寂しかったよ〜

というとてもシンプルな感情や思い、感覚だったりするんですよね。

結局自我さんのお仕事は、この「怖れ」に対して
出来ること全部やってやるぅ〜!って感じなんだなぁ〜。。。と。

 

(つづく)

 

 
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